ユリ - フラワーコーディネーター森 由美子のホームページ

花ごよみ

 

ユリ

 

 日本では、全国の高山、山野、海辺など、いたるところに、さまざまな種類のユリが自生しています。とくに大輪のユリや、色や香りに優れた自生種がたくさんあるため、海外のプラントハンターたちが「ユリの王国」日本へ押しかけてきた時代もありました。

 

 日本には、北半球に約100種分布しているユリの中で、15種ほどのユリが自生しているそうです。でも、ユリがあまりに身近なものだったためか、あるいは自生種が栽培しにくかったためか、観賞用植物として自国のユリを熱心に育てる人は日本にはあまり多くなかったようです。日本でユリの栽培が盛んになったのは、ほんの30年ほど前、カラフルな園芸品種のユリがどっと海外から持ち込まれるようになってからのことです。カサブランカをはじめ、外来ユリの多くは日本のユリの血を受け継ぐ改良品種ですが、これらの到来でユリへの新しい興味が高まったようです。

 

 

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 ユリとシダを合わせたテーブル・アレンジメント

 私の幼い頃、実家の庭には、祖父が育てたたくさんのユリがありました。夏の初めから、カンゾウ、ヤマユリ、カノコユリ、ヒメユリ、スカシユリ、オニユリ、テッポウユリなどが、木々やシダの間に次々と咲き続け、幼い私には、言葉にならないほど美しい光景に思えました。

 

 あの庭の、夏の日々に美しく咲いたユリたちを懐かしく思い出すたびに、庭から家の中にまで届いていた、あのふくいくとした香りもよみがえってきます。ユリは、幼児期の甘い記憶に重なる、心ひかれる花のひとつです。

 

 小学校の高学年になってから、小田急線で箱根まで出掛けたことがありました。世田谷から箱根までの線路の両側は、雑木林の中にも、草の生い茂った原っぱにも、ヤマユリがあふれるように咲いていました。車窓から手に取れるほどに近くにヤマユリの群生がえんえんと続く、あの美しい光景がいまも目に浮かびます。ヤマユリを県花としている神奈川県の沿線だけでも、せめて一区間だけでも、復活されないものかと、夢のような願いをいまだに私は持ち続けております。

 

 小田急沿線のあの頃のヤマユリについて人に話すたびに、「信じられない!」という顔に出会います。今の沿線の光景からは想像もつかないことで、やむを得ないこととは思っておりましたが、朝日新聞の2015年3月2日の夕刊に、私の話を裏書きしてくれる記事が掲載されましたのでご紹介いたします。

 

 『各駅停話』というコラムに、小田急線百合ヶ丘駅の沿革が載っているのですが、この中に「当時は一面にヤマユリが咲き乱れていた」「百人の協力と百合をかけて、この地名をつけた」という証言が載っています。この百合ヶ丘駅あたりだけでも、ヤマユリがいっぱいに咲き乱れる光景が再現されると素晴らしいですね。                                                                                                                  

  

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    朝日新聞『各駅停話』313
     

 その後の私は、恵泉の園芸科に入学し、花を生活の装飾に活かすことを学び始め、それまで見たことのない珍しい花々とも巡り合いました。たくさんの日本の原種が、欧米のプラントハンターたちによって見出され、海を渡って世界的な園芸品種となった事例をいろいろ教えていただきましたが、中でも世界的に大きな評価を得た日本の花のひとつがユリであることも知りました。

 



 岡見先生の授業では、ユリの研究では第一人者であった清水基夫氏のことを教えていただきました。さらに15年ほど後の話になりますが、ひんぱんに足を運んでいた神田・神保町の古書店で、清水氏の名著『日本のユリ』(誠文堂新光社、1972年刊)を見つけ、思い切って買い求めました。私にとってはちょっと高額な買い物でしたが、期待以上にすばらしい本でしたので、いまも私の大切な蔵書のひとつとして身近に置いてあります。

 

 この『日本のユリ』には、清水氏が自ら足を運んだ、日本全国のユリの分布と起源、形質、栽培方法など、さらに園芸種のユリのあれこれなどが多岐にわたり丁寧に分かりやすく説明されています。また写真やイラストもふんだんに挿入されていますので、折にふれてひもとき、楽しんでいます。

 

 

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 私の蔵書『日本のユリ』  

    

  私は学生時代から、夏のはじめに花屋さんの店頭に並ぶ、優しいピンク色のササユリを見るのが大好きでした。そのササユリの祭りがあることを知ったのも『日本のユリ』の「三枝祭り(ユリ祭り)を見て」の章でした。そこには奈良市の率川(いさがわ)神社で毎年6月に行われる三枝祭(さいくさのまつり)、通称「ゆり祭り」のことが見開きで紹介されていました。

 

清水氏が「私どもユリに関心をもつものとしては、ながくながく伝えつづけたいもの」と書き記しているこの三枝祭に、ぜひ参加してみようと心に決めました。その思いは途切れることがなかったのですが、仕事に追われるままに歳月が過ぎ、30数年後の2003年の6月、やっと参加することができました。

 

 祭りの前日、奈良市内のホテルにチェックインし、部屋に落ち着く余裕もなく、率川神社に急ぎました。

       

  神社は、2007年の大改修の前でしたので、町中とは思えないほど静かで、古びた趣きが漂っていました。祭りの前日なので、人影もまばらでしたが、拝殿にササユリを紋章とする提灯が張られ、ササユリを描いた浴衣姿の女性がかいま見られ、祭りの高揚が予感されました。

 

 

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 祭りの前日、拝殿の前で

  祭りに用意されたササユリ

 

 617日は、いよいよ三枝祭りの当日です。この祭りは、率川神社の本社である、20 km南に位置する大神(おおみわ)神社(別称、三輪神社)の周辺で摘み取ったササユリを奈良市内まで運んで行われるものです。昔むかし、五十鈴姫が三輪山のふもとでササユリを摘んでいるときに、神武天皇が通りかかり、姫の清らかな美しさに惹かれて皇后に迎え入れたという(古事記にも記載されている)伝説にちなむもので、1300年来の歴史を持つ“花鎮め(はなしずめ)”の神事です。

 

 拝殿の前には椅子がぎっしり並べられていて、その中の予約席に着きました。昨日とはまた違った、厳かさと、大勢の人たちの静かな期待感が入り混じった雰囲気の中で、祭りの始まりを待ちました。

 

 私の前の列がいくつか空いていたのですが、数人の方々がご一緒に来られて着席されました。偶然にもその中の若いお嬢さんとことばを交わすことになりましたが、何とお父様が大神神社の宮司さんとお聞きしてびっくりしました。その方によると、昔から三輪山に咲く野生のササユリを祭りに使ってきたところ、環境の変化に敏感な植生であるため、近年は数も少なくなり、祭りに合わせて必要数を確保するのが困難になってきたそうです。そこで、お父様がいろいろ研究され、近隣の56軒の農家に栽培を依頼されて、期日に合わせて咲かせることに成功されたおかげで、この年の祭りには充分な数のササユリを揃えることができたというお話でした。

 

 やがて祭りが始まりました。私が長い間、待ち望んでいたゆり祭りです。神様のお計らいにより、この日この場所に最高の形で導かれた、という思いで、ササユリで飾った曲桶を神官たちがお供えする祭事を眺めていました。続いて巫女舞。雅楽の音にあわせて、「三枝のユリ」を手に持ち、巫女たちが典雅に踊り始めました。私は可憐なピンクの衣をまとった巫女たちがゆったりと、みやびやかに踊るさまを、夢見ごこちで見ておりました。

 

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 巫女の舞がしずかに始まりました。

 

 

  この年の直会では、こんなお神酒をいただきました。